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立ったら書く
書き溜めはしていなくて、思いつきなのでゆっくりだがよかったら付き合ってほしい
どうぞ
1980年代に生まれた。
親はどちらもエホバの証人で二世だった
父方は熱心、母方は母子家庭で祖母と母二人暮らしだった
父と母は宗教関連の集まりで知り合ったらしい
なぜ結婚したのかと問えば、二人とも即答で「顔」というような夫婦だ
といっても自分には母の記憶はない
母はわたしが二歳の時に出奔した
上の内容は俺が大人になってから聞いたことだ
俺は父に引き取られ、父は別居と同時に実家に帰り、叔母、祖父母と共に暮らすことになる
全員熱心なエホバ信者で、それは地獄の幕開けでもあった
エホバの証人(エホバのしょうにん、英: Jehovah’s Witnesses)はキリスト教系の新宗教[2][3][4]。ものみの塔聖書冊子協会などの法人が各国にあり、ほぼ全世界で活動している。聖書は主に新世界訳聖書を使用している。また、主流派キリスト教が唱える基本信条を否定し、一般的には熱心な伝道活動を行うこと[証人 2][5]、輸血を拒否すること、戦争に参加しない事などで知られている[6][7][8]。
★おすすめピックアップ
男「念じればイカせられる能力を手に入れた」
6:名も無き被検体774号+ : 2017/11/30(木) 01:26:42.93ID:AwEZSc9z0.net
俺の学校をどうするかなど家族会議が開かれる中、父は突然言い放った
「母の住む街に戻る」と
当時、我が家で絶対の発言権を持っていたのは父だったため、それは鶴の一声となり、俺、父、叔母(私たちの世話をするため白羽の矢が立った)の3人で、昔いた街へ戻ることとなった
父と叔母はかなり都市が離れていたため、当時叔母はまだ未成年だった
16歳からずっと俺の母代わりをしてくれていたことをこの歳になって今更申し訳なく思うが、当時の状況にはそんな気持ちなどなく、まあ大好きな叔母とならなんでもいいやと思っていた
そうして俺は、俺にとっては見知らぬ街で晴れて小学一年生となった
入学式には父が来てくれた
みんなはお母さんなのになとちょっと変な感じはしたけれど、まだ父も若くて自慢の父だったので、そんなに気にしてはいなかった
ただ当時の環境、自分の家庭環境がそんな甘い気持ちを打ち砕くようにすぐに俺に襲いかかった
ある日クラスの女子に「田中(俺の仮名)はなんでお母さんいないの」と聞かれた
初めて聞かれた質問で俺は面食らった
今まで周りにいた数少ない子供は、全員宗教関連の友達で、親同士仲良いためそんなことは聞かれたことがなかったからだ
だから俺はありのまま答えることにした
「離婚した。お母さんは俺が二歳の時に出て行って会ってない」
そしたら、その子(仮に山田とする)に「悲しくないの」と聞かれた
咄嗟に口をついて出たのは「もう昔だし」の一言だった
それがよくなかった
途端、山田は俺を汚物を見るような表情で言った
「お母さんいないのに平気とかおかしーい」
本当にこう言った
周りの子も、同情とも蔑みとも取れない顔を浮かべて山田に同調した
俺の頭は真っ白になった
俺だってお母さんにいてほしかった
みんなお母さんがいるのに俺にいないのはなんでって聞きたい気持ちをずっと飲み込んで来た
父や叔母を悲しませたくなかったから
だから俺は爆発した
気づいたら山田を組み伏せて泣かせてしまっていた
俺はその一件で入学早々孤立することになる
エホバの証人には学校生活にも様々な制約がある
国歌、校歌を斉唱してはいけない、騎馬戦に参加してはいけない、格闘技は見学、給食の際の合唱はダメなど、微に入り細に入り様々な決まりがある
信仰心など微塵もなかった当時の俺だが、破った場合の折檻が恐ろしく、最初は割と忠実に守っていたと思う
ちなみに折に触れて行われていた折檻とは、馬跳びの馬のような姿勢となり裸のまま尻を突き出す姿勢を自ら取り、父に革ベルトで鞭打たれるというものである
父もヒートアップして乱打するため、尻にとどまらず、背や太ももなど全体的にミミズ腫れになるのが常であった
父や叔母はそれを愛の鞭と呼んだ
当時の自分がどういう気持ちだったかはあまり覚えていないのだが、父や叔母を怒らせないようにしたいとは強く思っていたと思う
ただ、楽しみは一切禁止、禁止事項はてんこ盛り、体罰や学友からの爪弾きなど幼い俺にはすべてを受け止めることなどどだい無理だった
まずはチック症状が始まった
深爪になって血が流れるまで手足の爪をかじり切った
父と叔母は、手にはばい菌がいるんだからやめなさい~足なんてもってのほかよ(笑)」といったかんじで、特に止めもしなかったので、その後自力で家を出るまで、常に手の爪はありえない深爪で肉が見えていた
それでも宗教活動は度を増すばかりで、奉仕時間もどんどん増やされ、今度は問題行動を起こすようになった
今更ではあるが、俺は一度もエホバを信じたことがない
集会で皆が神への祈りを捧げている間も、俺は幼いながらに必死に神への呪詛を吐き続けていた
そんな俺だったから本当に宗教活動は苦痛でしかなかった
相変わらず学校では仲間はずれで、だから俺は黒板に絵の具で消えない落書きをしてみたり、縄跳びで首吊り未遂をしたり、コンセントにピンセットをコンセントに挿して死のうとしたり、学友の物を隠したり、ありとあらゆるイタズラをした
死にたかったのは本当だけど、死ぬ勇気はなかったと思う
ただ、誰かに俺を見てほしかった
エホバの中では、俺は優等生で通っていた
注解(挙手して意見を述べる)も積極的にするし、親の期待にちゃんと答えた
父はいつのまにか、宗教内で奉仕の僕という役職が付いていた
元々奉仕の僕だったらしいが、母との離婚でおろされたらしかった(離婚はご法度、別居から5年粘ったが、母に離婚してくれなきゃ死ぬと脅され、しぶしぶ判をついたらしい。後に知る)
父の期待には応えたかった
だが、エホバの証人でいるのは苦痛だった
打ち明けるたびに鞭でしこたま叩かれ、いつしかあきらめた
ならばと、俺は二面性のある生活を送ることにした
小学3年生くらいだろうか
宗教関連の友人の家で多重人格障害の本を読んだ
たぶんそのこの母親の本だと思う
24人のビリーミリガン?タイトルはうろ覚えだが、そんなやつだ
俺は心底そいつに憧れた
だって痛い時、苦しい時に代わってくれる奴がいるから
俺が鞭で皮膚を切り裂かれても、クラスメイトに気味悪がられていつもひとりぼっちでも俺はいつも俺だった
誰も代わってくれなかったから
だから、ある日鞭打たれる時多重人格障害の真似をしてみた
不謹慎ですまん
ガキの俺はただ逃げたくてやったんだ
あの時もこれからもそういう病気で苦しんでいる人たちをバカにするつもりはない
父は苦笑して、容赦なく鞭を振り下ろしたw
今にして思えば当たり前なのだが、俺は万策尽きたと絶望を感じていたw
鞭打たれるのは本気で辛かったし、その時の父は獣じみていてこわかった(叔母は空気)
俺は俺でこの人生を生きていかないといけないとそう悟ったのが、我ながらおかしいがその瞬間だった
ならばと今度は自殺を考え始めた
そんな折、叔母がメル友の男と駆け落ちした
親や祖父母は知っていたらしいが、俺には青天の霹靂だった
1000キロ離れた地に行ったらしい
叔母は、俺にとって母であり姉であり世界の全てであった
父の絶対的な権力の前に、俺を庇うことはできずとも抱いて眠ってくれた夜もあった
まさに俺の太陽だったのだと思う
そんな人が俺に一言も残さず消えた
俺の世界は完全に砕け散ったと思った
1度目の母は物心なく消えたから、本当にあきらめがついていた
2度目の母はあきらめきれずとも、母ではないことが理解できていた
俺はどうしようもなくガキで無駄に大人だった
父と二人暮らしが始まった
自殺願望は相変わらずだったが、父を殺したいという気持ちがそこに加わった
父がいじめるから叔母が家出したのだと、そう思いたかったのだ
団地の5階から帰宅する父(車のエンジン音が判別できた)の頭上に包丁を投げ落として自分も身投げしようとして思いとどまる日々が続いた
思いとどまったのがなぜかと言われれば、こわかったのか父が好きだったのかそれはわからない
ただ実行しなかったというのが事実である
父はちょうどその頃夜勤の配送業で家を開けることが多かった
初めて深夜のテレビを見た
トゥナイト2、快感フレーズ、あとソフィアのライブCMでミサイルが流れていてその3つを鮮明に覚えている
父がいない時間に見る深夜のテレビが俺の唯一の癒しだった
俺もクラスメイトと変わらない暮らしが初めてできた気がした
食事はキムチとかインスタント焼きそばとか適当に家にあるものを勝手に食べた
インスタント焼きそばは俺が火を使うのを許されていた数少ない料理だったのでかなりヘビロテしたw
食べるものがないということはなかった
宗教関連の人が差し入れしてくれたり、祖父母がたまにきたりしてたから
最近法律勉強してて、輸血禁止とか武術格闘技禁止とかこんな人らおるんやあ思ったら日本にもおるんやな
>>23
拙い文章だが、そういう人にもぜひ実例として知ってほしい
そんな二人暮らしが一年ちょっと続いたある日、唐突に叔母が帰ってきた
俺は中学生になっていた
後に知ることだが、叔母のいない一年間に俺が起こした問題行動(初めてキレて親、祖父母を殴り首を絞めた、万引きなど外での非行など)に恐れをなした父、祖父母が叔母を呼び戻したらしい
ちなみに親の首を絞めた件は、また全身鞭打たれミミズ腫れにされたときに、警察とか先生に言うって受話器を持ったら電話線抜かれてそうはさせないって羽交い締めにされて、ああこいつら悪い事って認識はあるんだなって思ったら、積年の恨みでもう止まらなくなってしまった)
親や祖父母としては、叔母が戻れば万事解決だと思ったのだろう
ガキの俺はそうはいかなかった
一年少しとはいえ俺を置いて消えた事、異性と暮らしていた事、俺はそれを許せるほど大人じゃなかった
叔母には何も言わなかったが友達のような距離感で接した
叔母も以前のように母のように俺を叱ったりはしなかった
この頃から俺を大人として見始めたのか断片的に自分のことを語ってくれるようにもなった
精神的な病を患っていた事、どうしようもなく苦しかった事、幼い頃から兄(俺の父)に暴力をふるわれたり支配されてきた事、エホバの証人の人間関係がどうしようもなく苦しかった事、でも教義は信じている事、今までの鞭などもあなたのためを思ってやった事など
俺は、それを聞いてどうしたらいいか正直わからなかった
叔母はほとんど集会にもいかなくなって髪も金髪、暇さえあればPHSを弄っていた
俺は叔母に髪を染めてもらった
家族は外見には寛容だった
というかもうこの頃には先の一件から必要以上の口出しはされなくなっていた
学校のトイレで耳に安全ピンを刺した
何本も何本も刺した
制服は切ったり裾上げして改造した
タバコも覚えた
シンナーも吸った
おくすりもした
中学でできた友達はみんなヤンキーだったから、俺もそうなりたかった
ただそれだけ
でも先に決めた二面性を貫いてそのなりで集会は行っていた
だが転機が訪れる
俺自身、友達もでき身体もそれなりに成長し自信がついたある日曜の朝、父に言った
「もうエホバの活動はしない」
父は怒り狂ったが、集会の時間も迫っていたためそのまま出て行った
俺も家を出た
行くあてはなかった
何日かは先輩の家に泊まり、そのあとは声をかけてきたやくざ?チンピラ?に飲みに連れ回され、部屋に泊めてもらった
初めてキャバクラに行ったw
ちょっと親のことも話した
そのおっさんは別れ際タクシー代までくれて見送ってくれた
いいおっさんだった
また先輩に迎えにきてもらって、マック行こうぜってなって、マックに入った瞬間俺を探してた親と鉢合わせて、問答無用で車に引きずり込まれた
先輩は気の毒そうな目で俺を見たw
そのまま連れ戻された
俺は、エホバやらなくていいならここにいるって言った
親はしばし考え、わかったと言った
そして次の日曜の朝、父はこともなげに言ってのけた
「集会に行くぞ」
1ミリでもコイツを信じた自分がバカだったのだ
乱闘になった
叔母が俺を初めて庇った
「この子と約束したこと守りなさいよ」って
震える涙目だったけど確かに言ってくれた
俺の母はやっぱりこの人だったのだと思った
そのまま俺は家を出ました
流れ流れて長らく歌舞伎町の住人でした
刺青まみれのロクでもないクソガキで、路上で寝たり子を亡くしたり殺されかけたり危ない思いも苦い思いもたくさんしたけど元気です
結婚が決まって、でも小さな事で決意が揺らいでいたので、自分の人生振り返りたくて書きました
拙い文章にお付き合い頂きどうもありがとうございました
もう大人だから逃げれるやろ?
>>33 すまんな、終わるまで書きたくなかったんだが、俺は女なんだ
さすがに逃げれんかったw
読んでるぞ
最後まで続けて
>>36
続きといってもここからはエホバあまりでてこないしただ上に書いたような事しか書けないがいいんだろうか
今だに父と祖母は現役だが自分自身距離を置いてるもんで最近のエホバのことはわからないんだw
女だったんかい
幸せ掴めるとこしっかり読みたい
読みたいといってくれた人がいて嬉しい
つらつらと書いて行くが寝落ちしたらすまん
しばらくDQN話が続くんで嫌ならバックしてほしい
そうして家を出たんだが金もなければ年齢も13歳で働き口もない
数日は友人の家とか近くの小学校の校庭とかで寝たのだがさすがにきつい
特に校庭(というか校舎の影のコンクリ)は体が痛すぎて寝れたもんじゃないw
そんな折ナンパしてきたやつ伝いに彼氏ができた
実はこの前に先輩と付き合っていたんだが、ケータイを持たせてもらえず、家電はことごとく親にブロックされ破局したw
新しく出来た彼氏は7歳上で、仮名を太郎とするが今ならロリコンだと叩かれるけどとてもいいやつだった
安心して眠れる家をくれた
太郎は働いてたから毎日友達と遊んで来いってお小遣いもくれた
学校にはちゃんと行けと叱ってくれた
夜遊びも止めてくれた
俺、若い時に遊びすぎて学歴ないからお前には後悔して欲しくないって言ってくれた
すげーいいやつだった
でも元カノと浮気されたw
そんなこんなで怒り狂った元カノにぼこぼこにされたりすったもんだあってまた家をなくしたw
今度は友達の家に居候して、年をごまかしてパチ●コ屋でバイトするも親にバレてやめさせられたり、水商売に初めて足を踏み入れたり、色々あった中でまた彼氏ができる
仮名を二郎とする
二郎の家に転がり込んだ
子供ができた
愛おしかった
16になったら結婚しようなんて言ってたw
子供は急な早産で予定より二ヶ月早く生まれてしまい、そのせいで五日で亡くなった
泣いた死ぬほど泣いた
自分の命をあげられたらいいのにって思った
生き返ってくれたら自分はどうなってもいいと思った
冷たくなった我が子を抱いて歌を歌った
火葬場での小さなお葬式に、二郎と叔母と父と、そして母が来た
母は開口一番私に言った
「あなたがわたしの孫を殺したのよ」と
この先にも後にも、これほど深く傷つけられたことはないと思う
私が悪いのか、いやそうかもしれない、異変に気付いて救急車でも呼べばあるいは助かった命だったのかもしれない
わたしはただ泣く事しかできなかった
我が子と、これまで抱いて来た母への憧れと愛とすべてなくした瞬間だった
その後すぐに年をごまかしてではあるが、私は水商売の世界に足を踏み入れ、そしてどっぷりハマっていく
毎日毎日来る日も来る日も酒を飲み酔っ払いの相手をした
血反吐も吐いた
これしかないと思い、まじめに働いた
持ち物は豪華になりお金にも困らなくなった
がむしゃらだった
恋もしたけど、仕事が一番だった
それはとても楽しくあっという間に過ぎた時間だった
コンプレックスとか僻みはたくさんあったと思う
まわりの同級生達は高校に通い、将来の夢を見て、やりたいことをやっていた
私は、お金こそ彼らよりあったものの、根本的に何も持っていなかった
宗教に付けられた傷、虐待の記憶、進学もできなかったこと(勉強は好きで、弁護士になりたかった)、愛情飢餓
いろんなことが混じり合い澱のように心の奥底にたまっていたが、蓋をして仕事に打ち込んだ
でも、家族が欲しい愛が欲しい、どこかであきらめきれない自分がいた
だから私は家族を作った
1度目の結婚
筆舌に尽くしがたい暴力を受けた
ナイフが飛んで来たり歯を折られたり、髪の毛だけ掴まれてアスファルトを引きずり回されたり、車で轢かれそうになったり、真冬の山に置き去りにされたり
おまけに彼は働かなかった
ギャンブルもした
お金はあればあるだけ使った
生活が苦しくなった
体も心も痛かった
でも小さい頃の方が辛かったと思う
だが、さすがに限界がきた
お店のオーナーに相談して、寮を借りてもらい夜逃げ同然に家を出た
殴られない生活はホッとした
よく、仲の良い同僚と仕事終わりに食事に行った
楽しかった
また仕事に打ち込めるようになった
平和だったが長く続かなかった
お店の経営方針が変わり顔ぶれも変わり、仕事が途端にやりづらくなった
自分の中で何かがプツンと切れた
オーナーに辞めますと伝えた
別に次のあてもなかったし貯蓄も大してなかったけど、なんだか少し疲れて休みたくなった
いつのまにか20歳になっていた
引き止められはしたが、頑として意思は覆さなかった
ラストイベントはたくさんのお客様に恵まれて今でも思い出と呼べるものだ
今でも時折写真を見返して懐かしんだりもするw
しばらく休んでいる間に、お客様から雇われで店を持たないかという話を持ちかけられ、承諾して始めたものの、前のお店のオーナーが話が違う金を払えと脅しをかけてきた
この世界でしか生きていけないと思っていた私にはとても嬉しい話だったのに、うまくいかない運命を呪った
自分の人生、何をやってもうまくいかない、いつも邪魔が入ると
今となっては自分の詰めが甘いからだと一笑に付す話なのだが若かった自分は思い悩んだw
そして私は心機一転、上京しようと思ったw
まあ、その以前に東京に遊びに行った折にツテなどもできたからなのだが、思い立ったが吉日すぐに地元を離れた
すぐに歌舞伎町で適当にスカウトをされて、適当なキャバクラに入店した
ボロいなりに寮もあったし、同僚もいい子ばかりで仕事も順調だった
すぐにナンバーにもなった
サクサク書いてはいるけど、ほんとはすごいびくびくしてたw
ただ、もう帰る場所はないし進むしかないって強くなれた
給料は地元と桁違いだった
二ヶ月目で給料袋が立った
普段愛想なしの店長が俺より給料いいじゃんかよって笑ってたのが何故か印象に残ってる
しがらみもないその街で私はとにかく今までの鬱憤を晴らすように遊んだ
同僚や友達とよくホストクラブにも行った
服やバッグも買いまくった
寮も出て綺麗な部屋に移り住んだ
楽しかった、毎日すごく疲れたけどすごく楽しかった
歌舞伎町はとてもエネルギッシュで今でも好きな街だ
でもまた糸がプツンと切れた
仕事を辞めてしまった
お金は生活していく分にはなんとかなった
ただダラダラ過ごした
日がな一日ゲームをしたり、ゴロゴロしたりしていた
友達とも遊んだけどすぐに疲れてしまいダメだった
燃え尽きに近かったんだろうか
途中一時復帰したものの、いろいろとありすぐにやめてしまった
やる気、バイタリティなどはもうカケラも残っていなかった
精神安定剤漬けになったりもした
このままでは何も進まない、でもだからと言って何もできない自分が情けなかった
家を出てからずっと走り続けて、ちょっとガス欠だっただけだろうが、そんな無為な日々は割と長く続いて、だらけきっていた日々の中で、先に書いた婚約者と出会った
普通の人、それが彼の印象である
昼間働き、夜眠り、規則正しい日々を送る、物腰の柔らかい人
彼に出会って初めて思った
いや、もともと思っていたのかもしれないが、普通の人と普通の暮らしがしたいと
幸い彼は私を好いてくれた
私も彼を好きになった
付き合って少しして一緒に暮らし始めた
もう数年が経つ
たくさん喧嘩した
過去も打ち明けた
お互いの悪いところもきっと嫌という程知っている
だけど彼との日々は私の人生の中でもっとも光に満ちていてまっすぐでかけがえのないものなのだと思う
朝起きて、夜眠り、家事をして他愛もない会話をして
でも、今日も今日とて大げんかで、将来が不安な時も沢山ある
それでも、今まで歩いてきた道が今ここへつながっているから、家を出てからの人生はすべて自分で選んできたから大丈夫だと、そう自分に言い聞かせてあげたくてこのスレを立てました
終盤少し駆け足でしたが、長い時間お付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました
皆様にもたくさんの幸せがありますようお祈り申し上げます
余談ですが、叔母とは仲良しです
父ともいい距離感で過ごしていますw
まあ今を幸せだと思えるなら万々歳なんじゃないかな
読んでる限りでは今までいろいろあった分幸せを大切にする思いとか他者を尊重する思いは人一倍あるだろうからきっとこれからも上手くいくと思う
まあ他人の無責任は感想だからあてにはなんないだろうけどwww
とにかくこれからも強く生きていって下さい
幸せな家庭生活をおくれるといいな
彼氏が変な奴でない限り大事にしてやって
なんかいっぱいレス来てるありがとう
>>56 >>57
ありがとう、彼氏大事にする
同じような環境で無償の愛を受けずに育ち心を壊されて
愛すことや愛されることがわからずに苦しんでいる人を救うにはどうすればいいと思う?
今が本当に幸せなら、彼ら、彼女らと、あなたとの違いはなんだと思う?
>>59
迷惑だよな
そっと捨てるしかないが
>>59
自分はまずカウンセリングに通った
それから禅の思想に助けられた
詳しくはOSHOでググってみてほしい
あと親族以外のまわりの人間に恵まれていたかな
でも、何より本人が腐らないのが大事
変わりたい、幸せになりたいって意思がなきゃまわりがいくら何したって救えないと思う
>>64
禅!ほんとに今は幸せなんだね 良く分かった
突き詰めたら本人の資質によるとしか言えなくなるでしょう?
それをなんとかして越えたいんです
>>68 資質というか、まわりが手を差し伸べるとすれば、人生は楽しくて生きる価値があるって気づかせてやることかなって思う
そういう人はつまづきやすいから(自分がそうだった)かなり根気がいると思うが、いつか気付いてくれると思う
事情がよくわからないのでたいしたこと言えなくてすまない
>>1こうゆう上辺だけの信者が宗教の評判落としてんだよな 宗教はアングラな部分なんだからわざわざ書き込まないでこっそり信仰してろ
信仰できないなら辞めたらいいだけ
>>60
現役の方かな
自分で望んで信仰したわけじゃないしもちろんとっくにやめているよ
身の上話を書いただけだが気に障ったならすまんな
1にたくさんの幸せが訪れますように
>>61 ありがとう、優しい言葉嬉しい
お幸せに!
親の宗教で苦しめられた気持ちは体験した人にしか分からないからなぁ。
自分は創価の2世で親がそれは熱心な学会員で家出るまで苦しくて毎日死にたくて仕方なかったよ。イッチ程の修羅道は歩まずに
済んだけどまともな人間に育ったとは言い難い
俺も2世だけど今41歳の童貞だわ
結婚できるってすげぇな
ご結婚おめでとうございます。
壮絶な人生ですね。
彼氏さんと幸せになってください。
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